海底の墓場へ
大学生の時、広島に旅行した。二泊三日。
8月の初めでとても暑かった。
原爆資料館を見て回った後、案の定陰鬱な気分になった。
直ぐに街をぶらつく気分になれず、平和記念公園の片隅に腰掛けてぼーっと空を眺めていると、チャリ乗った裸の大将みたいなオッさんが今日は暑いね〜、たまらんね〜!と話しかけてきた。
観光客なのか問われたので頷くと、
「今の時期は一番暑いから広島は。もうちょっと経ったら凪になって、もっと暑くなる。」
再現出来ないが、バリバリの広島弁だった。オッさんはそれだけ言うとまたチャリに乗って去って行った。その日は雲一つない晴天で、気温の高さもさることながら、平和記念公園って真っ白だから照り返しもあってめちゃ暑かった。
こりゃ全然休まらんな、どっか喫茶店でも入って涼んだ方が良いなと腰上げようとすると、コンニチハ〜!とまた声かけられた。広島の人フレンドリー過ぎる。
今度は裸の大将じゃなく、金髪のお姉さん2人組。外人さんでした。
「聖書、ヨンダコトアリマスカ?」
宗教の勧誘だった。
自分の実家は真言宗で、信心は全然ないのだが密教特有のダークな感じがなんか格好良いし、空海が今も高野山の霊廟で瞑想してて僧侶が毎日給仕してるってエピソードも漫画みたいで堪らんなと思っているので、残念ながら改宗は出来ない。
でも何の宗教でも信心深い人は親切な人が多いので、話聞くくらいのことは嫌がらずにしている。
日曜の昼から居酒屋行って良い感じのホロ酔いになった後、アパートで腹出してシエスタしてる時にピンポンされたとしても、一応はちゃんと話しを聞いている。それに、いつも邪険にされてるからか話聞いてあげるとスゲー喜んでくれるんだよな。なんか自分も嬉しくなってしまう。
あと、ああいう人らって薄い冊子くれるじゃない。あれも好きだ。一旦は靴箱の上あたりに放って置くのだが、掃除の時とかにあ、そういやこんなもん貰ったなって気紛れにパラパラめくってみると、モーゼが海割ってるシーンなどがとんでもない熱量で描かれてたりして見入ってしまう。
なので、金髪のお二人の話もちゃんと聞きました。そしたら、気を良くしたのかニコニコ顔で
「ココノトコロ、ヨンデミテクダサイ。」
と分厚い聖書差し出された。予め蛍光ペンで囲まれてる箇所があったので黙読しようとすると、
「チガイマス、声ニダシテ。」
と手厳しい。いや声に出すのはちょっと…と躊躇したが嫌とも言えない雰囲気だし、断って2人の顔を曇らせたくなかった。
仕方なくボソボソ読み上げると、開始2秒くらいで
「モットオオキナ声デ、ヨンデクダサイ。」
と注意されてしまった。国語の先生かよ。自分は別に朗読が苦手ではないが、クラスに一人二人いたでしょ、つっかえつっかえ人の何倍も時間かけて読んでる奴。自分がそんな奴だったらコレ一生終わる気がしない。長いんだよ。「春はあけぼの」の5倍はあるからコレ。
とも言えず…。
文句言われないように今度は大声で読み上げました。恥ずかしかった。自分は旅先で一体何をしているのだ。猛暑のせいか周囲に人気がなくて助かった。これがエゼキエル書25章17節だったら、昔パルプ・フィクションのサントラ持ってて暗誦できたのにな…(格好良いと思って超練習したから)。全然関係ないけど、ブレードランナーのあの「お前たち人間には信じられないものを私は見てきた云々」っつーとこも昔超練習したな。だって格好良いから。
そんなことをつらつら考えながらやっとの思いで読み終えると、
「ツギハ、ココヲヨンデクダサイ。」
とページめくられたから流石に驚いたね。
金髪のお二人の感激っぷりと言ったらなかった。
「コンナニ、真剣ニ、ヨンデクレタノハ、アナタガハジメテデシタ。」
だろうよ。言っちゃ悪いがもうちょっとやり方考えた方が良い。自分のように好意的と言うか酔狂な人間もなかなかいないでしょうから。
鞄の中ゴソゴソしてっから、お、例の冊子くれんのかなと思ったら、装丁もガッチガチの分厚いモルモン書を一冊プレゼントされた。
「ココニカイテアルノハ、ワタシノ電話番号デス。イツデモカケテキテクダサイ。デルノハワタシデスガ、神様ニツナガル電話デス。神様トハナシテイルトオモッテクダサイ。」
と、去り際に名刺も貰った。
私が電話に出るって言ってんのに神様と話してると思えってのも恐れ多くないか?という疑問もあったが、もしかして自分がこの先滅茶苦茶弱ってしまうこともあるかもしれないな、そん時に忘れてなかったら電話してみるか、と貰ったモルモン書の間に名刺挟んで持ち帰った。トランクの中身圧迫してクソうざかったが、こういうの捨ててくのも気が引けるし。
で、実家に置いといたら、数年後に置いといた実家ごと津波で流されたんで、まぁ、あなた達の神様にはご縁が無かったと言うことで…。
流されたとは言っても跡形もなく海の藻屑となったわけではなく、200mくらい離れた地点に家の二階部分だけ流れ着いていたもんで、周囲に家ん中の物が散乱してたらしい。
そこで、良かれと思って近所の人らが泥だらけになった大学の学位記やら何やらを拾い集めてくれたのだが、鬱屈した思春期の内情を赤裸々にぶつけた当時の日記や、件のモルモン書などがもしかしたら白日の下に晒されたかもしれないと思うと、居ても立ってもいられなくなる。
米山さんのとこの子は山田かまちではありません。改宗もしてません。
どうせなら全て海の底に沈んでくれれば良かった。
夜は海底の墓場のピアノを想い その上をただよう自分の姿を見る
海底はあまりに静かで 私は眠りに誘われる
不思議な子守唄
そう 私だけの子守唄だ
音の存在しない世界を満たす沈黙
音が存在し得ない世界の沈黙が
海底の墓場の 深い深いところにある 「ピアノ・レッスン」より
映画とは違い、詩的に終わらせてくれない現実の生々しさよ。